「方法」なんて何でもいい。

同僚と飲む。やはり仕事の愚痴になる。もっぱら聞き役。眠いわ。違う角度で見ると違う風景が見えるんだろうなぁ。何が真実か。それは見る人によって異なる。

ほぼ日で、実に興味深い対談記事があった。そこから刺さった言葉。

ぼくのやっている「構造構成主義」とは、
「無形の形」みたいな、
何にでも通用する「原理」なんです。

価値の原理でもあるし、
方法の原理でもあって‥‥
つまり「方法とは何か」という問いなんです。

で、すべての「方法」に当てはまる
「共通の原理」とは、何か。

そういうふうに考える学問をやっていまして、
その「原理」を
すでに、学問的に作って持ってたんですよ。
糸井 はー‥‥。
西條 「方法」というのは、
必ず「ある特定の状況」で使われますよね。
糸井 ええ、ええ。
西條 「ある特定の状況」のもとで
「ある目的を達成する手段」のことを
「方法」と呼びますが、
これって「例外」がないんです、定義上。
糸井 はい、はい。
西條 ようするに、
考えればいいポイントはふたつしかない。

それは「状況」と「目的」です。
今はどういう状況で、何を目的にしてるのか。

今回の場合は「被災者支援」ですけれども、
このふたつを見定めることで
「方法」の有効性が決まってくるんです。
糸井 つまり「方法ありき」ではない、と。
西條 そうそう、そうなんですよ。
「方法」は、柔軟に形を変えていいんです。

今日の食事
朝:豚バラ肉とご飯
昼:おにぎりとスパゲティサラダ
晩:百番で飲み食い