音楽なんて

  • 6時起床。
  • トースト、コーヒーで朝食。
  • 10時開店のビジョンメガネサンチカ店へ。一番乗りの客となって、ネジをはめてもらう。タダ。
  • ドウチカのTOKYO GLASSでもう一本サブとしてメガネを買うつもりで入店。オフ用にするつもりでセルロイドタイプのフレームでブラウンのものをチョイス。グラスの下側はフレームがなく、顔に溶け込むような感じ。検眼をしてもらったが、馬蹄形のどこが空いてるかを示すよくやる検査ではなく、検眼機の中に牧場の奥の一軒家が写っており、それに焦点を合わす感じ。そんなんで視力がわかるのかと思うぐらい。最初は、少々度が落ちても標準レンズにして値段を抑えようと思っていたんだけど、オプションレンズにしても1万円も差がない。結局身体の一部となる道具なので、1万円ぐらいなら、やっぱりあった度がいい。ということで、分厚いレンズを避けて、非球面レンズにしてもらう。それでも16000円。今のメガネの5分の1だ。
  • 昼は久々にドウチカのインデアンカレーでスパ玉。やはりうまい!
  • 12時前に出社。メールを捌く。某プロジェクトの計画書をチェック。15時過ぎから、その結果を担当PMにフィードバック。
  • 16時過ぎ退社。岡山のSさんと飲み。淀屋橋の9番出口で落ち合って、そのまま梅田。5時前に空いてる飲み屋ということで、選択肢の多い梅田食堂街へ。2階の居酒屋はちきん。今関わってらっしゃるプロジェクトのことなど興味深い話を伺う。19時過ぎに店を出て別れる。
  • 20時前に帰宅。少々酔っ払い。
  • 津原泰水ブラバン』読了。音楽度は越谷オサム『階段途中のビッグノイズ』には劣るが、人間群像劇としては、こちらが読ませる。

郷愁と悔恨は仲睦まじい。どちらも必ず親友を後ろに隠している。

この人は言葉の力を信じている。自分の説教で世界を素晴らしくできると信じている。

時間は進む。戦争が起きようが誰が死のうが、いかに世界がいびつになろうが、時は無感情に吹き抜けていく。

人はなぜ音楽を奏でるのか。(中略)
音楽なんて、単純な物理法則を利用した儀式に過ぎない。
音楽なんて、雑多な情報に取り囲まれた空虚に過ぎない。
音楽なんて、本来他人と共有しえない閃きに過ぎない。
音楽なんて、振動に過ぎない。
音楽なんて、徒労に過ぎない。
音楽は何も与えてくれない。与えられていると錯覚する僕らがいるだけだ。
そのくせ音楽は僕らから色々に奪う。人生を残らず奪われる者たちさえいる。
なのに、苦労を厭わず人は音楽を奏でようとする。

よう誤解されますけど、僕は本来感情的な人間です。これまで自己表現の労を惜しんで、それらを溜め込むことに慣れてきた。ああしてほしい、こうしてほしいいうて頼まれちゃあ、異存ありませんいうて頷くのがこれまでの僕の人生ですよ。この電話もそういう予定じゃったでしょう?ほかに人から大事にされる方法を思いつかず、あとどのくらい我慢できるかいな思うて、砂時計を見つめ続けてきたんが僕です。ところがね、僕の手元の時計なんか当てにならんというのを最近知った。僕の時計にはまだ余裕があっても、砂はどっか勝手に落ちるんです。早めに気づいて、ひっくり返してまわるほかない。特に大事な人々の時計は。

ブラバン

ブラバン

  • 今日の体重。65.3kg(+0.2)。やばいやばい。