漂流列島ニッポンの絆をつなぐITの未来

もうすぐ311から一年がたとうとしてる。しばらくは関連の報道や特集が放送されるんだろうなぁ。やはり一年経つとぼくを含め直接の被害にあってない人たちは薄れていくよね。多分そういう人達はこの節目の一年目でまたあらためて考えるんだろう。その繰り返し。阪神の時もそうだった。

この狭い日本の中でもいろんな受け止め方があり、それはある意味当然で、どんどんその視点をミクロにしていくと、行き着くところは、みんなバラバラだと思う。逆にその視点をどんどん上げて行って俯瞰していくと、一つにまとまっていくように見える。最初の頃の日本を世界が賞賛したようにね。

津波の被害はある意味人をぐっと一つにまとめたのかもしれない。それが原発問題になったとたん、人はバラバラに漂流しだした気がする。そんな漂流しだしたニッポンを去年は「絆」という字が象徴した。絆が切れかけているからこそ、この言葉が響いたのかもしれないね。誰だって一人っきりは嫌だ。誰かとつながっていたい。そう思う。

今回の震災でネットはそのポテンシャルを発揮し、かなり世間一般にも認知されてきた感がある。例えば、Twitterだったり、Googleの安否確認サービスだったり。もはや、公共機関並みとはまだ言えないかもだけど、かなりインフラとして使い物になってきたよね。そしてこの傾向はもう止まんないでしょ。ITが絆を強めるんだよ。多分それしかないと思う。

じゃ使いこなせない人、例えばおじいちゃんおばあちゃんはどうすんの?そこはほれ、若者の出番だよね。デジタルデバイドを埋めるのは、若者。若者がおじいちゃんおばあちゃんをサポートすればいい。そしてそこに報酬を付与することで、世代間でお金が循環する仕組みにしちゃえばいい。おじいちゃんおばあちゃんは、若者からネットやコンピュータの使い方を教えてもらったり、代行してもらう。それによって、ITの恩恵を享受する。若者はその報酬として何らかの所得を得る。お年寄りもお年寄りだけで固まるんじゃなくて、若者も若者だけでつるむんじゃなくて、それぞれミックスしちゃえばいいんだよねー。

なんてことを考えてたら、眠くなってきたよーん。おやしゅ。