ほぼ日の糸井さんと佐々木さんの対談がおもしろすぎ!

電話で客とやりあう。結局同じ言葉をお互い違う意味で受け取っていたことが原因。
でも言わせてもらえば、論理的帰結からすると、分かりそうなもんだけどなぁ。
って向こうも同じようなこと思っとんやろうなぁ^^;。
後味悪し。

どうも最近守りに入ってる自分がいる。
自ら動こうとしない。
言われたことだけこなす、いや、こなせてるかも少々疑問。。。
明らかに落ちてきてるなぁ、いろんな意味で。

切り替えて、と。ガチャン(笑)。

ほぼ日の糸井さんと佐々木俊尚さんの対談が面白い。
はっとするような言葉が多い。例えばこんな感じ。

自分はあなたに賛同してますよ、 っていうことを表現する方法が けっこう複層的にあるんですね。 たとえば「あなたの意見に賛成です」 なんて書かなくても、リツイートするだけで その姿勢が表せたりする。

いまもそういう傾向があるんですけど、 インターネットにつながってないっていう人口を インターネットの人たちは、 わりとなめてるんですよね。

そういうことなんですね。 当たり前のことなんですけど、 ネットがなくても成立している場所が もともとあったわけだし、 それはいまもあるんです。

「当然知ってると思いますが‥‥」
みたいなところが前提にある。
でも、実際の世の中は、ぼくも含めて
「そんなの知りません」っていう
人ばっかりが歩いているわけで。
佐々木 ネットは、そこはぜんぜん違いますね。
いってみれば、ネットにあることばって、
途中経過なんですよね。

たとえば本、書籍って、これまでは
典型的なひとつの小宇宙だったんだけど、
たぶん、100年後の書籍っていうのは、
おそらく、もっとソーシャルなものに
なっていくと思うんです。
つまり、人とやり取りをしていくこと自体が、
だんだんとなにかの物語を編んでいくような、
そういう世界をつくっていくんじゃないのかなと。

ブログでも、ツイッターでも、
フェイスブックでもそうなんですけど、
ソーシャルの世界のなかで
なにかについて書くということは、
そこでそれについてほかの人と
やり取りしていくということなんですね。
そうすると、いま書いているこれを読む人が
どういう反応をするだろうか?
っていうのを考えながら書く、
という文体になっていくんですよ。

佐々木 そうなんですよ。
書籍って、いままでは印刷物だったけど、
徐々にデジタル配信になっていきます。
印刷物というのはグーテンベルク以前は
写本だったわけで、それ以前はというと、
紀元前3000年くらいまでは
「口承」だったわけですよね。
糸井 そうですね。
佐々木 オーラルリテラリー(口承文学)。
あの時代に戻る可能性があるわけです。

文体の変化というのは、単なる流行ではなくて、 ものすごく大きなパラダイム転換の 最初の一歩かもしれないと思うときあるんです。

そういうふうに考えると、
ツイッターとかフェイスブックに代表されるような
いわゆる「ソーシャル」っていうのは、
情報流通の手段としてのチャネルではなくて、
ひとつのレイヤー(層)だと思うんです。
だから、ソーシャルは、
既存のメディアに取って代わるんじゃなくて、
すべてのメディアに入り込んでいく可能性がある。

これまでのメディアというのは、
チャネル的にとらえられていて、
こっちから向こう側に情報を流して、
そこにお金が発生するようなものだった。
でもいまはそういうチャネルの扱い方よりも、
人と人とがなにかでつながっている
ということ自体のほうが重要になってきている。

特に文体の変化のあたりがとっても刺激的だったなぁ。

あ。それと。
今日ポチった「FastCheckin」は素晴らし!
あれこそぼくがfoursquareに求めてたものだわ。
あっという間に一軍昇格(笑)。