佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』の『本の雑誌』の書評を読んで思ったこと

佐々木俊尚電子書籍の衝撃』の『本の雑誌』の書評。

注目すべきは電子書籍は本をアンビエント化するという主張で、ようするに電子書籍はプラットフォームの中で「フラット」であり、いつどこで誰が書いたものであるかは重要なものではなくなる。読み手も書き手も垣根がなくなるということなのだが、それは単に玉石混交になるだけではないのか。著者は本に先行してインターネット配信がメインになった音楽に学べと繰り返すが、音楽と本は一緒にできないだろう。iPodは音楽がなければ存在しえないが、iPadは本がなくても存在しうるのだ。そしてアンビエント化しない紙の本はこれまで培ってきた本作りの水準を保っていく必要がある。少なくとも、この本のように小見出しがノドに来ても平気な本作りをしていては読者が離れるだけではないか。

ところ変われば見方も変わる。電子の世界では絶賛された佐々木さんの本も、神の世界の人達から見ればこう見えるらしい。ただ、なんかこう枝葉末節をみてるだけで流れを見てないというか、揚げ足取りっぽい印象が残る。例えば、読み手も書き手も垣根がなくなればそれは玉石混交になるだけと言ってるが、それは確か佐々木さんも言ってて、だからこそ、内容と立場?すなわち単にコンテンツじゃないコンテキストが大事になるとオレは読んだんだが。もっと先に言いたいことあると思った。他にも音楽と本は一緒にできないとあるけど、誰も一緒にしてないよ。単にそれは流通というか売り方買い方から始まって、「あり方」として、すなわちアンビエント化するんじゃねーの?ってことで、共通になっていくと言ってるだけ、佐々木さんは。で、最後は、ものとして紙の本の作りにケチをつけて終わると。まぁ、そうなんだろうけど、それで別に読者は離れないと思うけど。少なくともオレは別に小見出しがどこに来ようがあまり気にしないし、別にそんなことで、内容が素晴らしい本なら離れたりしない。確かにモノづくりとして本の世界にも保っていきたい伝統とか匠の技とかあるんだろうけど、それを別に否定するものでもないし、それはそれで続いていくものもあれば、電子書籍になったら関係ないものも多々あるだろう。紙だからどう電子だからこうと言ってるわけじゃないと思うんだ、佐々木さんは。本という他人や自分の考えを具現化する一つの大きな手段のあり方が、大きく変わろうとしてて、それは多分開かれたいい方向に向かいつつあるんじゃねーの?だったら邪魔するんじゃなくて、もっと一緒になってもっといい方向にもっと早く行くようにいろいろ助け合いながら、さらにその向こう側も見たいよねってことなんじゃないのかなぁ。
・嫌なメールに対して、一旦受けて、丁寧に順序立てて、例証をあげながら、ゆっくりと反論立てていく、そういう練習を積みましょうかねぇ。
・大塚で仕事終り。T内さん、Y原さんと一緒に、「広州市場」でビールと中華。えび玉の旨さに仰天。思わずリピートオーダーした。締めは冷やし坦々麺。これまた揚げワンタンがいい感じ。大満足&大満腹して帰宅。そうそう、T内くんが、オレの生まれたところのほん近所で生まれ育ったことを知って、世間の狭さを実感。ほんま驚いたわw。
【今日の食事】
・朝:トースト、アイスカフェオレ
・昼:ハンバーグ定食
・夜:餃子、えび玉、角煮、棒々鶏、冷やし坦々麺@広州市場大塚