親はみな「エリート」である

  • 休みをとった。役所で転入の手続きをしたり、明日からの通勤のために定期券を買いに三宮に行ったりした。
  • ロフトで、RHODIAの方眼メモと3Mの透明ポストイットを購入。
  • 昼は、せっかく三宮に来たんで、讃岐麺房すずめへ行った。最初11時半頃に行ったが、あいにく今日は12時開店の張り紙。仕方なく近くのサンマルクカフェでアイスラテを注文して時間をつぶす。12時ちょっとすぎにお店に行くとすでにほぼ満席。カウンタの奥に1席だけ空いてたんで、そこに通される。ぶっかけ冷大とセルフの天ぷら2種で940円。モッチリとしっかりしたのどごしで満足。
  • 帰宅後、役所から電話。元の自分の世帯に戻さず、僕一人の世帯で住民登録してしまったので、もう一度役所に来て手続きして欲しいとのこと。完全に向こうのミス。旧の世帯主に妻の名前を書いて提出してたのに、どうやらこっちのミスと決めつけて手続きをしたらしい。まぁ電話で怒ってみてもそのまま住民登録してもらえるわけもないので、もう一度役所に出向く。午前中と全く同じ用紙に同じように記入して再度手続きをしてもらう。あーあ。電車賃請求したろかほんまw。往復400円やけど。コーヒーの一杯は飲めるで。
  • 今週のアエラより。養老孟司さんの巻頭エッセイの言。僕はちゃんとエリートだろうか。怪しいところかもしれない(^^;。

親はみな「エリート」である。大人というのは、自分がエリートの立場になっているかどうかということである。(中略)エリートとは、突き詰めれば、人の命を預かることなのである。(中略)子どもにとって、親は立派なエリートである

真の国力というのは「勝ち続けることを可能にする資源」の多寡で考量するものではない。「負けしろ」を以て考量するのである。
どれほど外交内政上の失策を犯しても、どれほど政治的無策が続いても、それでも法治が継続し、内戦が起こらず、テロリスト集団が形成されず、略奪や犯罪が横行しない「民度的余裕」において、日本は世界最高レベルにある。その意味で、日本は中国に対して(中国以外のどの国に対しても)外交上、圧倒的な優位にあると私は考えている。外交上、「一手も打ち間違えるわけにはゆかない」という緊張が日本人には求められていない。かなり打つ手を間違えても、それが統治システムそのものの崩壊の危機にまでゆきつくことはない。

今の日本の政治家にこういう思考が出来る人がいるんやろか?外交というか交渉事は相手があって初めて成立するもんだよね。だったら、まずは相手の拠って立つところを慮ることから始める、そういう態度は必須なんじゃねーのかな?

  • 今日の食事
    • 朝:チーズトースト、ゆで卵、コーヒー、なし
    • 昼:ぶっかけ冷大@讃岐麺房すずめ
    • 晩:豚もやし炒め、味噌汁、ご飯、白菜キムチ